【寄稿/第1回】乳酸菌生産物質のルーツと共棲培養

寄稿・ブログ

(株)光英科学研究所 代表取締役会長

村田 公英 氏

正垣角太郎氏、日本初のヨーグルトを製造販売

 私の生涯を賭けて取り組んできた乳酸菌生産物質の研究と、そのルーツについて振り返ってみたい。

 今から120年前、フランス・パスツール研究所の微生物学者、イリヤ・メチニコフの「乳酸菌による不老長寿説」が発表された。この説に感銘を受け、乳酸菌の研究に取り組んだ医師の正垣角太郎氏は、私の師にあたる正垣一義先生の父である。

 正垣角太郎氏は1914年に日本で初のヨーグルト「エリー」の製造販売を開始した。その後、研究は長男の一義先生に引き継がれた。29年(昭和4年)にエリー(株)を設立し、4種類の乳酸菌の共棲培養による製品(生菌)を発売。37年(昭和12年)になると京都から東京へ進出、潤生ソキン(株)として8種類の乳酸菌の共棲培養へと進化させた「ソキンL」を販売した。

 正垣一義先生はこの時点で乳酸菌の商品を完成させたと自負していたが、当時、中国大連にあった本願寺関東別院内の大谷光瑞農芸化学研究所の大谷光瑞所長と出会い、乳酸菌の研究を大転換することになる。

「代謝物が大事」という教え

 大谷光瑞師は大正天皇の義兄にあたる浄土真宗西本願寺第22代法主であり、仏典にある「香」や「薬物」の栽培を研究していて、特に香科学・植物学・薬物学に関しては非常に専門性の高い知識者であり、最後に取り組んでいたのが「細菌学」であった。

 その折、正垣一義先生と出会い、その乳酸菌研究の実績を高く評価した大谷光瑞師は、正垣先生を研究所の次長に任命した。ここで「乳酸菌は生きた菌ではなく、その代謝物が大事である」という教えが授けられた。

※発酵食品の乳→酪→生酥→熟酥→醍醐の5段階

 その教えのもととなったのが、仏典「大般涅槃経」に書かれていた「醍醐」。醍醐とはこれ以上ない最上の食べ物を意味する。仏典の中で、発酵食品には、乳→酪→生酥→熟酥→醍醐の5段階があり、醍醐こそが発酵の極致であり、代謝産物だったわけである。

 そして、正垣先生は16種の乳酸菌を共棲培養して得られた代謝産物からなる製品「スティルヤング」の開発に成功。1944年(昭和19年)のことだった。これこそが現在の乳酸菌生産物質の元祖である。

 大谷光瑞師はその完成後まもなく遷化するが、正垣先生は師の命を受け、敗戦後、東京・銀座に寿光製薬(株)を設立。乳酸菌代謝物質による製品「スティルヤング」を製造販売し、全国的に拡販活動を行った。

 このとき、山口県エリアで拡販員をしていたのが私の母であった。その縁で、私は8歳の時に乳酸菌生産物質とめぐり合うことになる。48年(昭和23年)のことだった。

正垣先生から託された研究の継続

 1949年(昭和24年)、50年(昭和25年)と2回にわたり、国会で「長寿論と有効細菌」と題して講演した正垣先生は、文部大臣・厚生大臣から賞詞を受領し、大谷光瑞農芸化学研究所を東京都目黒区洗足に移設した。

 9年後の59年(昭和34年)に母の強い勧めもあってこの研究所へ入社した私は、正垣先生から厳しい教育を受けることとなる。乳酸菌の理論や発酵技術だけでなく、感性をはじめとした精神的なものを大切にしてゆくことが研究姿勢に欠かせないことをたたき込まれた。

 乳酸菌の二歩も三歩も先を行く研究開発だったため、製品の良さに理解を示す企業も出てきた。だが、正垣先生と企業側との間でポリシーの相違があり、なかなか事業連携には至らず財務的に厳しい状況が続いた。

 正垣先生の目的は、戦後30年にして日本を世界一の文化国家にするために、国民の健康に貢献できる企業をつくることにあった。そして69年(昭和44年)、正垣先生は培ってきた技術の火を消さずに後世に継承するため、光英科学研究所の社名で事業と研究の続行を私と私の義母である金廣シズ子に託したのである。

 以降、昼は無線機メーカーのサラリーマン、夜と休日は乳酸菌の研究という二足のわらじで技術の火を絶やさぬよう尽力。事業としてコンサルタントを通じて大手を含む様々な企業と交渉を進めたが、ヨーグルトはかなり普及していたものの、乳酸菌という言葉は一般に知られていなくて、「乳酸菌生産物質」となると知名度はゼロに等しく、ましてやその価値を理解してもらうのは至難の業だった。

53歳で大きな転機迎える

 この生活が23年続いた1994年(平成6年)、53歳の時に運命の扉が開いた。食品を全国販売する企業が品質力を評価して全面的に採用することとなり、光英科学研究所も法人化して、再び乳酸菌生産物質一筋に研究人生を歩むことになった。

 法人化してから26年、乳酸菌の代謝物であり、人の腸内フローラの腸内菌の構成に限りなく近い16種35株の善玉菌から成る乳酸菌生産物質は、その体感の良さとリピート率の高さから今では多くの方に愛用されるようになり、世の中が乳酸菌製品で賑わう中でひときわ輝きつつある。

 現在では多くの企業から販売され、受注に従って増産を重ね、2021年1月からは1トンタンク3基と増設した2トンタンク1基の稼働により、大量の受注を受ける状況となっている。

 先代の正垣先生の遺志を継いで、「国民の健康に貢献できる企業」の一歩を踏み出すことができたのである。これは愛用者の皆様方のおかげだと深く感謝している。

第1回/第2回

コメント