(株)光英科学研究所 代表取締役会長
村田 公英 氏
生きた菌から菌の代謝物へ大転換
第二次世界大戦直後から高度経済成長期にかけて、様々な分野で製品開発のプロジェクトがあったが、そのプロジェクトの難問をどのように克服して成功に至ったかをドキュメント番組にした、NHKの人気番組「プロジェクトX」をご覧になった方も多いと思う。
私は乳酸菌生産物質も長い年月をかけた「プロジェクトX」であったと、過去の様々な出来事を思い起こしている。
プロジェクトの始まりは、先代の研究所長、正垣一義先生が中国・大連にあった大谷光瑞農芸化学研究所で、大正時代から継承してきた乳酸菌飲料の製造方法を、生きた菌から菌の分泌物(代謝物)に大転換する研究を行い、1944年、第二次世界大戦の終戦の1年前に16種の乳酸菌の共棲培養による方式を完成したことにある。
終戦後の1948年に東京・銀座に寿光製薬(株)を設立して、乳酸菌の代謝物による製品「スティルヤング」を製造販売し、全国的な拡販活動を開始した。
1949年、1950年と2回にわたり国会で「長寿論と有効細菌」をテーマに講演を行い、戦後復興のための健康必需品として国家の普及活動を促した。
その後、社名を義報社と改めた会社の研究所(大谷光瑞農芸化学研究所)に、1959年に私は入社した。
20代前半は研究と商品製造に従事し、後半は研究所の技師の肩書で、販売普及活動に従事した。
59年にわたる「プロジェクト」が完成
当時は大手企業10社以上から、事業提携や技術提携の要請があったが、契約の最終交渉になると、正垣所長のポリシーである「世界の人々の健康増進に貢献する」にそぐわないという事態になり、成立したことがなかった。
そして、私が29歳の時に経済的に立ち行かなくなり、研究と開発の成果の灯を消してはいけないと、正垣所長の特命により光英科学研究所の創業へと移行した。
私は子供の頃から興味のあった無線機の会社に勤めて、時間の許す限りコンサルタントの方と乳酸菌生産物質の企業化のために邁進した。
二足の草鞋で歩むこと25年、54歳の時に全国に販売組織のある会社に出会い、工場も建設するという幸運に巡り合って、光英科学研究所の法人化に至ることができた。
それから9年後の2003年に、16種35株の共棲培養技術が確立し、この「プロジェクトX」は完成した。
なんと開始から59年を紡いだ長期にわたる「プロジェクト」だったが、愛用者の方々の弛まない支援があったからこそ完成したと感謝に堪えない。
最近では、単一菌株の乳酸菌の機能性表示食品が市場を賑わせているが、総合的に健康に寄与できるのは、16種35株を用いた乳酸菌生産物質を置いて他にはないと自負している。
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