【寄稿/第4回】乳酸菌生産物質の技術から生まれた「味のちえ」

寄稿・ブログ

(株)光英科学研究所 代表取締役会長

村田 公英 氏

 今回は乳酸菌生産物質の歴史を顧みて、当社の前身となる(株)義報社に私が入社し、乳酸菌生産物質について学んでいた当時の事業内容を振り返る。

 私が入社した1959年は、10円で東京・渋谷から原宿まで電車に乗れて、ラーメンが60円の時代だった。会社は山手線渋谷駅から徒歩5分の美竹町(現在の渋谷区渋谷)の「味のちえ」ビルにあり、事業を大々的に展開すべく、所長をはじめ全員が研究開発と販売に情熱を燃やしていた。

 当時の主力商品は、健康飲料として打ち出していた乳酸菌生産物質入り飲料「スティルヤング」と、その技術を発展させて作り出した調味液「味のちえ」だった。

 「味のちえ」は調味液という位置づけではあったが、何かの風味を付加するというのではなく、食品そのものの素材の味を引き立たせて、自然の風味を引き出すことが特徴だった。

 当時の日本は敗戦からまだ十数年。食品を手に入れるのがやっとの時代で、国民の需要量に対応するのが精一杯だったので、食品や素材のおいしさは二の次という面があった。あまりおいしくないものでも、食べられるだけで十分という状況でもあった。

 しかし、やはり食事をおいしく食べたいというのは、人間の素朴な欲求である。そのようななか、乳酸菌の代謝物で出来上がった調味液「味のちえ」は、その食材が持つ自然の味の特徴を生かし、風味を引き出すものとして展開した。

 「味のちえ」のもたらす食材の自然な風味を生かす効果は、当時の食品のプロの方々に大変評価された。

 そば屋、寿司店、高級食堂、鰻屋、水産練り製品、製パン業、製めん業、製粉会社、せんべい・あられ製造業などの各方面に認められることになった。

 学術的には、正垣所長が懇意にしていた慶應義塾大学の梅澤純夫教授(理学博士で日本初のペニシリン採取に成功、ストレプトマイシンなどの抗生物質の研究で世界的に知られている)が「味のちえ」のペーパークロマトグラフィー分析を行い、科学的な補佐をしてくれた。

 このような画期的な製品だったので、今も現存している大手企業数十社から業務提携の話も舞い込んだが、正垣所長の研究開発のポリシーに合致しないということで、契約寸前までいっても成立しなかったことを思い出す。

 そのようななか、世間ではグルタミン酸を利用した「うま味調味料」の普及が始まり、食品素材にそれを添加して味を良くする方法が発展していった。人々も「うま味調味料」で作り出された味に慣れていき、食品素材が持つ自然の風味が馴染まなくなってしまった。

 このような時代の変化に巻き込まれる形で、当時の会社の業績が思わしくなくなってしまったのは、今振り返ってみても残念なことである。

 しかし現代では、食品からなるべく添加物を除去する方向になってきているように思う。そして、食品が持つ素材そのものの味を尊重するようになってきた。

 素材の味を研究しようと、大手企業では代謝物による作用を調べるためのメタボローム解析も利用しているようだ。

 食品そのものが持つ味わいを楽しむことも、健康に近づく一歩なのではないかと私は考えている。そして、乳酸菌生産物質の技術が再び、消費者の豊かな食生活のために、味の面からも役立つ日が来るのを願っている。

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