【寄稿/第32回】「自然の摂理」を貫いた55年…乳酸菌生産物質

食品/飲料

(株)光英科学研究所 代表取締役会長

村田 公英 氏

腸内細菌の生態系が研究対象だった

 今年で(株)光英科学研究所は創業55年、法人化30周年となった。これまでの道のりを振り返ると、63年前に筆者が大谷光瑞農芸化学研究所に入社した日に遡る。

 乳酸菌生産物質の生みの親である正垣所長に、当時、乳酸菌の培養室に案内され、数百本に及ぶ乳酸菌を培養中の試験管を見せてもらい、「あなたがこれからお付き合いをしてゆく乳酸菌達です」と説明された。驚いた筆者が「この乳酸菌はどこから来たのですか」と質問すると、「大変いい質問ですね。この菌たちのふるさとは、あなた方のお腹の中ですよ」と答えてくれた。

 当時は「腸内環境」という言葉はなかったため、筆者にとって所長の一言はカルチャーショックであった。

 こうして、体に良い腸内細菌の共棲培養技術の研鑚が、筆者の日課となっていった。そして、研究所では1つひとつの菌ではなく、多種類の菌の育成と、その組み合わせが研究対象となった。また、生きた乳酸菌ではなく、その代謝物がターゲットとなっていた。

 今にして思えば、健康に寄与できる腸内環境へのメカニズムを紐解くかたちで、腸内細菌の共棲培養法の研究が当時から進められていたと理解できる。自然の摂理として、人の腸内細菌の生態系が研究対象となっていたとも言えるだろう。

 そしてそれは、筆者が乳酸菌と接するときに、1種類の菌に固執することなく研究を進めることができた原点とも言える。

日本発の乳酸菌生産物質を世界へ

 乳酸菌の培養室に案内されて入社してから10年後、正垣所長の特命により、光英科学研究所として技術と事業を継承し、次のステージへとスタートした。

 それからの長い年月をかけて現在に至る研究には、自然の摂理に準拠した技術が根幹にあってこそ、と思わざるを得ない。

 光英科学研究所の乳酸菌生産物質は、日本国内はもとより、近年では海外への輸出量が急増している。

 日本の「下町ロケット」ならぬ、日本で開いた乳酸菌の花として世界に向けて広がってゆくことを夢見ている今日この頃である。

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